カルライフ

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肺炎で死にかけたお話

今回は、肺炎で死にかけたお話をしてみたいと思います。

 

 

あれは、高校二年生の冬でした。最初に身体に明らかな異常を感じたのは、日曜日の夜でした。

 

身体全体が倦怠感に包まれて、熱を測ってみると38℃を超える高熱でした。その日は、熱さましを飲んでゆっくりしました。そのときは、風邪でもひいたのかもしれない。熱が高いから、インフルエンザの可能性もあるなと思っていました。

 

 

次の日は高校をお休みして、朝一番に地元の昔から通っていたかかりつけ医のところに診察を受けに行きました。

 

普通に診察を受け、インフルエンザの検査を受けました。インフルエンザは院生でした。そのときにかかりつけ医には、「風邪みたいだから、お薬出しておきます」と言われていました。そのときの自分は、高校は入学してから無遅刻無欠席だったので、風邪なら欠席扱いになるので、皆勤賞ではなくなるとか考えていました。(インフルエンザなら、出席停止になるので欠席扱いにはならないため)

 

 

とりあえず、身体を休めることはを第一に考え、お薬を飲んでゆっくりしていました。熱は38℃から39度くらいで、眠れない日々が続きました。

 

数日経過して、体調も良くなるどころかむしろ悪化するので、最初に病院に行った4日後の木曜日にもう一度、そのかかりつけ医のところに行きました。もう一度、インフルエンザ検査などをしましたが、陰性でした。このときはもう心身疲れ果ててしまっていたのであまり覚えていませんが、またお薬をもらって家に帰りました。

 

そして、また家で身体を休めていて明らかに身体が今まで感じたことのないような疲れだったので、熱を測ると39℃くらいはあったと思います。

 

次の日の金曜日の夜に、母親にこのような言ったことを今にも鮮明に覚えています。「本当に死ぬかもしれないくらいしんどい」と。

 

そしたら、母親に「じゃあ、〇〇病院(大きい病院)に明日行こうね」と言われました。

 

 

そして、次の日の土曜日の朝に父親に車に乗せてもらって、〇〇病院に連れていってもらいました。

 

その大きな病院では、血液検査やレントゲン検査などの精密検査をしました。

 

自分の担当医は、こぎれいな見た目30代後半くらいの女医でした。

 

それでその女医さんが淡々とこう言いました、「肺炎ですね」と。

 

肺炎なんて、おじいちゃんやおばあちゃんがなるものだと思い込んでいたので、自分の頭の中では「ハイエン!??」みたいな感じになりました。

 

すると、その女医さんがレントゲン写真を見せてくれて、それを見てみると、自分の左肺が見事に真っ白になっているのです。衝撃的だったのを今でも覚えています。

 

そこで、「毎日点滴に通うかそれとも入院するか」と聞かれたので、父親も同伴だっため父親は入院でお願いしますと即答しました。自分もそのように感じていました。

 

 

そのあとに女医さんにこう言われました、「よくこうなるまで我慢できてたね、おじいちゃんなら死んでましたよ」と。

 

そこから長くて短いような入院生活の始まりです。家族には父親が電話してくれて、そのときは母親は「本当に大丈夫なの?」と本気で心配していたそうです。

 

とりあえず、自分が当時所属していた部活の部長に電話しました。当時は、まだガラケーの時代でした。

 

 

それで電話をかけ、「なぁ、肺炎で入院することになった」と言いました。

 

するとその部長は、「えぇ、それ本当なの?」と言われました。

 

自分は「本当だよ」と言いながら、心の中で「こんな冗談言うわけないだろ」とか思っていました。

 

すると、「お見舞いに行くよ」と言われて、病院名と部屋番号を聞かれました。

 

 

 

それで、生まれて初めての入院生活をすることになったのですが、正直不安しかありませんでした。

 

どうでもいい話かもしれませんが、自分の担当してくれた看護師はとてもきれいな人でした。それ以外の看護師さんもきれいで優しい方が多かったので、それだけでも元気がもらえました。

 

 

入院生活が始まったその日の夕方に、先ほど電話した部長さんが部員を5、6人ほど引き連れてお見舞いに来てくれました。30分という時間でしたが、ものすごくうれしかったのを今でもはっきりと覚えています。

 

その友達が帰ったあとは、夕食の時間でした。自分は身体が大きかったので食べる量も多かったのを覚えています。特に白米に関しては、病人が食べる量ではないな(笑)とか思っていました。でも、残さず食べなければならなかったのでちゃんと食べていました。

 

その後、両親がやってきていろいろと生活するものをそろえてきてくれました。このときの自分はあまりにも辛かったので、両親に甘えていたかもしれません。その両親が家に病院から家に帰る時間になったのですが、母親の手を握りながら「苦しいよ、辛いよ」と言っていました。内心では、ここに居てほしいなとか考えていました。

 

ちょうど、入院生活が始まった2日間くらいが一番しんどい時期でした。特に深夜病棟の電気が消え眠る時間になったとき、ほとんど眠れませんでした(一睡もできない日があった)。

 

その理由は、あまりにも高すぎる熱です。このときの体温計が示した温度はマックスで41.2℃でした。ずっと熱いお風呂に浸かっているような状態で、眠ることもできない。とにかく苦しい夜がありました。人生の中でも、辛いといえるできごとのひとつに挙げられます。

 

ナースコールで、熱さましを飲んでも症状はあまりよくはなると言えず、ただ我慢することしかできませんでした。

 

 

この最初の2日間以外は、比較的苦しいことは少なかったと思います。ただ、1日中点滴で左手がふさがってしまい、寝てるだけというのは退屈だなと思っていました。両親も毎日のように、病院を訪ねてくれていろいろとお世話をしてくれました。

 

 

その後、退院したのは6日後の金曜日でした。普通の生活に戻れる喜びと同時に、自分のケアを行ってくれた病院の関係者や家族、友人には感謝の気持ちでいっぱいでした。

 

退院したその日の夕食は、家族と焼肉を食べに行きました。全体的にあっさりしている病院食とは違い、箸が止まらないくらいの勢いで食べてました(笑)。

 

 

病気になってみると、普段の当たり前の生活がどれだけ素晴らしいのかということを実感させられます。この肺炎となった経験も今となっては、自分にとっては必要であったのかとも思います。

 

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